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東京地方裁判所 昭和34年(行)94号 判決

判  決

長野県西筑摩郡開田村大字西野五九九六番地

原告

千鶴枝こと中村ちづ江

右訴訟代理人弁護士

松本善明

安田郁子

東京都千代田十大手町一丁目七番地

被告

労働保険審査会

右代表者会長

上山顕

右指定代理人

朝山崇

飯田修二

兵藤正行

右当事者間の昭和三四年(行)第九四号遺族補償費及び葬祭料に関する処分取消請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  由

第一 当事者双方の求める裁判

原告は「被告が昭和三四年三月一六日付で原告に対してした再審査請求を棄却する旨の裁決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との裁判を求め、

被告は主文同旨の裁判を求めた。

第二 請求の原因

原告の夫亡中村政太郎は、労働者災害補償保険法第三条第一項第二号に規定する強制適用事業の事業主である興国林材株式会社に昭和三〇年一月二七日以来その開田事務所々属の馬橇夫として雇傭され、長野県西筑摩郡開田村大字西野トチ洞地域の山林において伐採された木材を馬橇により運搬する作業に従事していたところ、同年二月五日作業現場から帰宅の途中において馬橇に繋いだ馬が暴れたため頭部馬蹄傷および頭蓋陥没骨折の傷害を負い、これに起因する破傷風によつて同月一八日死亡するにいたつた。そこで原告は、松本労働基準監督署長に対し、中村政太郎の死亡が業務上の事由によるものであるとして労働者災害補償保険法の規定にもとづく遺族補償費および葬祭料の支給請求をしたところ、同署長より昭和三一年一月一〇日付で、中村政太郎の死亡は業務上の事由によるものでないから原告の請求にかかる補償を支給しない旨の決定がなされたので、長野労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたけれども、同年六月二二日付で前同様の理由により右請求が棄却されたにつき、さらに被告に対し再審査請求をした。ところが被告は昭和三四年三月一六日付で再審査請求棄却の裁決(以下本件裁決という。)をし、同五月一五日原告にその送達がなされた。

しかしながら本件裁決は、業務上の事由によるものと認めるべき中村政太郎の死亡をそうでないものと誤認した点において違法であるから、その取り消しを求めるため本訴に及んだものである。

第三 請求の原因に対する認否および本件裁決が適法であることについての被告の主張

一 請求原因事実中、中村政太郎が興国林材株式会社に雇傭された日時および同人の負傷したがつてその死亡が原告主張のように業務上の事由によつて生じたものであることは否認するが、その余は認める。

二 中村政太郎が興国林材株式会社に橇夫として雇傭されたのは、昭和三〇年二月二日であつて、爾来同人は、原告主張の山林からの伐材を伐採現場からトラツク土場まで馬橇で搬出する作業に従事していたところ、同年二月五日午後五時頃当日の作業を終了してからの帰宅途上、トラツク土場から約五〇〇メートル距つた分旅館において知人三名とともに午後五時半頃から午後八時頃までの間に合成酒二升を飲み交わした後、空の馬橇を操作して自宅に向う途中午後八時半頃居村大字越地籍の路上でその馬が暴れたことによつて、原告主張のような負傷をし、結局死亡するにいたつたのである。

三 労働者災害補償保険法による保険の対象たる災害は、業務上の事由によるものに限られるわけであつて、当該労働者が事業主の指揮監督下に立ち、両者の間に使用従属関係の存する状態において発生したものでなければならないのである。興国林材株式会社と中村政太郎との雇傭契約は、その地方における馬橇夫その他伐材関係の労働者に関する労働慣行による意思をもつて締結されたのであつて、この慣行に従い、賃金は出来高払で、就業時間の定めがなく、作業を適宜な時刻に開始終了することができ、自宅と作業場所との間の往復の時間中においては中村政太郎は事業主の指揮監督を離れ、事業主に対する従属関係を脱するものと解せられべきであつた。ところで中村政太郎の前記負傷は同人が当日の作業を終了し、作業現場を離れた後帰宅の途中において生じたものであるから、業務上の事由によるものとはいいえないのであつて、同人が負傷時に偶々労働の用具である馬橇を操作していたとしても、右の結論に格別の差異をきたすものではない。したがつて、被告のした本件裁決には何らの違法も存しない。

第四 被告の主張に対する原告の認否および反論

被告の前記主張中中村政太郎が興国林材株式会社に雇傭された日時、同人が分旅館で飲酒していた時間(その開始および終了の時刻を含む。)、その際飲用した酒の種類ならびに同人の負傷時刻については否認し、同人と興国林材株式会社との間の雇傭契約の内容の解釈に関する主張を争う外、その余の被告主張事実は認める。

中村政太郎は既に請求原因において明らかにしたとおり昭和三〇年一月二七日興国林材株式会社に雇傭されたのであり、同年二月五日同人が右旅館で飲酒していたのは午後五時半頃から約一時間に過ぎず、その間清酒を飲んだのであつて、同人の負傷した時刻は午後六時四〇分頃である。

中村政太郎と興国林材株式会社との間の雇傭契約のごとく労働用具を自ら所有している労働者が雇傭されて使用者のために労務に服する場合においては、労働用具の操作を開始した時からその格納を終了して完全にその用具から解放されるまでの間、当該労働者は使用者のため労務に服している過程にあるものと解すべきであつて、中村政太郎の居村地方においても一般社会通念上そのように考えられているものである。したがつて中村政太郎の蒙つた負傷は当然業務上の事由によるものというべく、普通の通勤労働者がその出退勤の途上で負傷した場合と同様には論じえないものである。

第五 証拠(省略)

理由

一、原告の夫亡中村政太郎が労働者災害補償保険法第三条第一項第二号所定の強制適用事業の事業主である興国林材株式会社に昭和三〇年二月五日当時その開田事務所所属の馬橇夫として雇傭され原告主張のような作業に従事していたところ、右同日作業を終了してから帰宅の途上で(検証の結果によれば、作業現場のトラツク土場より約一、七〇〇メートル離れた場所であることが認められる。)、操縦中の馬橇に繋いだ馬が暴れたため原告主張のような負傷を蒙り、これに起因する破傷風によつて同月一八日死亡したこと、原告が中村政太郎の右死亡をその業務上の事由によるものであるとして、原告主張のような補償の支給請求を松本労働基準監督署長に対してしたが、原告主張のとおりの不支給の決定をうけたこと、その後における原告による審査請求および再審査請求の経過および結果が原告の主張するとおりであることについては、当事者間に争いがない。

二  そこで被告のした本件裁決の適否について検討する。

中村政太郎の負傷のいきさつに関して、同人が昭和三〇年二月五日午後五時頃当日の作業を終了してからの帰宅途上、トラツク土場から約五〇〇メートル距つた分旅館において知人三名とともに飲酒した後、空の馬橇を操作して自宅に向う途中居村大字越地籍の路上でその馬が暴れたことのため原告主張のような負傷をしたことは、当事者間に争いがない。

さて労働者災害補償保険法第一二条第一、二項の規定するところによれば、同法で保険する災害補償の事由は、労働基準法第七五条ないし第八一条に定める災害補償の事由すなわち業務上の災害とされているところ、ここにいう業務上の災害とは、労働者が使用者の指揮命令にもとづく支配下におかれている状態において発生したものであることを要するものと解すべきであるから、労働者が出勤または帰宅の途上で蒙つた災害は、特別の事情のない限り、労働者が使用者の指揮命令に服していない状態の下におけるものとして一般には業務外のものと認めるべきである。

そこで中村政太郎が昭和三〇年二月五日興国林材株式会社との雇傭契約にもとづく馬橇による伐材搬出作業を終えた後帰宅の途中において蒙つた上述のような負傷を業務上の災害によるものと判断すべき特段の事情が存在したかどうかについて調べてみる。

まず興国林材株式会社と中村政太郎との間に雇傭契約が締結された経過およびその契約内容は、(証拠)によれば、左のとおりであることが認められる。興国林材株式会社は長野県西筑摩郡開田村大字西野字トチ洞地域の山林からの伐材搬出のために馬橇夫の雇傭を必要としたので、同会社の松本出張所開田事務所の現場主任吉村優がその折衝に当り、昭和三〇年二月一日に中村政太郎と雇傭契約を締結したのであるが、これより先中村政太郎は同日午後四時頃まで吉村優の求めに応じて材木搬出の作業に従事し、その実績にもとづいて契約の内容が取りきめられた。これによると、中村政太郎は同会社の伐材を昭和三〇年二月一〇日までに伐採現場からトラツク土場まで馬橇で搬出する作業に従事し、搬出にかかる材木につき石当り金一五〇円の割合で、富山県下の同会社工場において入材の検知をした結果により賃金額を計算することという二点について明示の約定がなされたけれども、労働時間に関しては何らの定めもされなかつた。それというのは、中村政太郎に対する賃金が出来高払いの約束であつたし、当該地方の伐材搬出関係の労働者の冬期における作業時間が慣行上午前八時頃から日没前後すなわち大体午後四時ないし五時頃までとなつていたので、前記契約締結の当日における中村政太郎の作業の実績とにらみ合わせて、昭和三〇年二月一〇日までを雇傭期間とすれば足りると考えられたからであつた。そして興国林材株式会社が中村政太郎を伐材搬出のための馬橇夫として雇傭するについては、同人がその所有の橇およびこれを牽引する馬を使用して作業に当る定めであつたところ、これら労働用具の管理に関しては、前記契約に際して何らの話合いもなされなかつた。ところで証人(省略)の各証言によれば、この地方で木材の伐採搬出業を営む島田林業株式会社において労務者を雇傭するについても、その契約内容は興国林材株式会社と中村政太郎との間の前記契約の場合と大体同様に定められてきていることが認められるのである。

次に中村政太郎の居村地方において木材伐採搬出業者に雇傭されている馬橇夫が自宅と作業場との間を往復中において雇傭主の指揮監督に服しているものとみるべき慣行その他が存在するかどうかを探求してみる。

証人(省略)の各証言によれば、この地方においては、中村政太郎に関する本件事故のごとく他人に雇傭されて木材の搬出作業に従事する労働者が作業現場への往復の途上で災害を蒙つたことについて、労働者災害補償保険法の規定にもとづく補償を支給すべきかどうかという問題の生じた事例がないことが認められる。もつとも証人(省略)は、本件事故以外に、中村政太郎の居村において林業関係の労働者が作業現場から帰宅の途上負傷したことについて金銭による補償のなされたいくつかの事例があると証言するけれども、その補償が業務上の事由による災害に対するものとしてなされたものであるかどうかはその証言によつても何ら明らかにされていないし、証人(省略)もその証言において、中村政太郎の居村での事例として、いわゆる土曳きの方法により材木の運搬に従事している労働者の操縦する馬が作業を終つて帰宅の途上骨折したことに関し、事業主から当該労働者に対し損害の賠償がなされたことがあると述べているがこの場合についても、その損害が業務上の事由にもとづくものとして処理されたものと認めるべき証拠は見出されない。

ところで本件につき取り調べた証拠中には、中村政太郎の居村地方において木材伐採搬出業者に雇傭される馬橇夫が自宅と作業場との往復の途中においても依然として雇傭主の指揮監督下にあるかどうかということに関して積極または消極の考え方を表明したものが存する。例えば、証人(省略)の各証言は前者に証人(省略)の各証言は後者に属する。なお、証人(省略)の証言中には、馬橇夫と雇傭主との関係が馬橇夫において馬を馬小屋に入れるまで存続しているとの考えに立つて、中村政太郎の死亡につき補償を与えられるよう松本労働基準監督署長に嘆願書を提出した旨述べている部分があるけれども、その証言の全趣旨を通覧すると、同人が右のように嘆願書を提出するに至つた真意は、むしろ中村政太郎の遺族に対する同情から原告に有利な処置をとられたいとの嘆願をするにあつたことが認められること、後述のとおりである。証人(省略)は、大野田労働基準監督官の調べに対して、馬橇夫は馬小屋から馬の出し入れが完了するまで作業に従事しているものであるという気がすると答えた記憶があるとの証言をしており、さらに証人(省略)は、馬橇夫が作業場から自宅へ帰る途中は作業中とはいえないということを聞き、そうかも知れないとの感じをもつたけれども、いずれとも判断しかねるとの証言をしているが、乙第三号証中には、同人の供述として、はつきり消極的な意見であることが録取されている。しかしながらこれら証拠の全趣旨にかんがみ、かつ、先に認定したとおり、右地方において馬橇夫が作業現場からの帰宅途上で災害を蒙り、これについて労働者災害補償保険法の適用問題が発生したのは、本件事故が最初であつたことを考え合わせるときは、前示証言等にかかる事項が関係者のみならず村民の意識に上つたのは、本件事故がその機縁になつたものであつて、それまでは右のような問題は一般の関心事ではなかつたものと認めるのが相当であるから、前掲各証拠は、中村政太郎の本件災害が業務上の事由によるものであるかどうかということを決するについてよるべき労働慣行その他の存否に関する認定の資料には供しがたいものといわざるをえないのである。もつとも前掲乙第九号証によると、吉村優が中村政太郎に雇傭契約の翌日である昭和三〇年二月二日酒代を渡し、その際仕事が終るまでは酒をのまないようにと注意したことおよび同月五日にも中村政太郎から子供のためみやげを買うためであるといつて借金を申し込まれてこれを貸した際にも、吉村優において酒などのまないようにと注意したことのあることが認められるけれども、証人吉村優の証言によれば、吉村優は中村政太郎に対して作業終了後も指揮監督をなしうるというような考え方の下に右のような注意を与えたものではないことが認められる。

最後に証人(省略)の各証言によれば、当時興国林材株式会社の松本出張所長であつた上田弘正および同出張所開田事務所関係の現場担当者であつた吉田秀雄が中村政太郎の負傷および死亡を業務上の事由によるものであるとして、松本労働基準監督署長に対し、原告が労働者災害補償保険法による補償をうけられるようにとの嘆願書を提出したことが認められるが、同証言によれば、右両名は嘆願書を提出するにつき、中村政太郎の負傷が業務上のものであるという明確な認識理解に立つていたのではなく、むしろ遺族の窮状に対する同情に発したものでおることが認められる。

以上のような諸般の事情を総合するときは、中村政太郎の居村地方において馬橇夫として他人に雇傭されているものが作業の開始前または終了後に自宅と作業現場の間を往復する間においても雇傭主の指揮命令に服しているものと解さなければならない労働慣行その他の根拠の存在は認められないものといわなければならない。

してみると中村政太郎の蒙つた本件災害はその雇傭主の興国林材株式会社の指揮監督が既に及ばなくなつた後に生じたものであつて、業務上の事由によるものといいえないことが明らかである。

三  そうすると、中村政太郎の死亡は業務上の事由によるものではないとして、原告に対し遺族補償費および葬祭料を支給しないものとする原処分を維持した被告の本件裁決処分には違法の点はないものというべく、この取り消しを求める原告の請求は理由ないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第一九部

裁判長裁判官 桑 原 正 憲

裁判官 駒 田 駿太郎

裁判官西山俊彦は、転補につき署名押印することができない。

裁判長裁判官 桑 原 正 憲

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